はじめに
近年、カーボンニュートラル社会の実現に向け、化石資源に依存しない「人工石油(合成燃料)」の可能性が改めて注目されております。
水素と二酸化炭素を再結合させる Power-to-Liquids(PtL)技術や、従来のフィッシャー・トロプシュ(FT)合成など、多様なアプローチが検討されており、実用化へ向けた実証も世界各地で進行中です。
人工石油とは何か
人工石油とは、化石由来ではない炭化水素を化学合成によって得る液体燃料全般を指します。
代表的な製造ルートは、
①石炭・天然ガスなどを原料とする CTL/GTL
②バイオマスを原料とする BTL
③再生可能電力由来の水素と回収 CO₂を用いる PtL(e-Fuel)です。
いずれも高温高圧下で一酸化炭素と水素の混合ガス(合成ガス)を作り、触媒反応で炭化水素鎖へ組み立てる点が共通しております。
歴史的背景―ドイツのコール・トゥ・リキッド
人工石油の商業的起源は第二次世界大戦期のドイツにさかのぼります。
当時は石炭を原料に FT 合成でガソリン・軽油を大量生産し、燃料不足を補っておりました。
その後、南アフリカや北米でも石炭液化プラントが建設され、ピーク時には日量数十万バレル規模まで拡大しました。
しかし、設備投資とエネルギーコストの高さから、原油価格が下落すると多くが閉鎖される運命をたどりました。
現代技術:Power-to-Liquids と e -Fuel
再生可能エネルギーの急速な拡大を背景に、近年脚光を浴びるのが PtL です。
再エネ電力で水を電気分解して得たグリーン水素に、DAC(Direct Air Capture)や工場排ガスから回収した CO₂ を反応させ、原油相当の「合成原油」あるいは合成ガソリン、e-ケロシンなどを製造します。
理論上、燃焼時に排出される CO₂ は原料として再循環可能であり、サプライチェーン全体を再エネで賄えばネットゼロも実現し得ます。
実証プラントの最新動向
2022 年にドイツ企業 Atmosfair が北部ドイツで CO₂ 由来の合成ケロシンを初出荷し、2024 年時点で年産 100 トン規模へ拡張しております。
さらに、チリ・パタゴニアでは HIF Global とポルシェが共同で e-Fuel パイロット「Haru Oni」を稼働させ、年 13 万リットルの e-ガソリンを生産。
2025 年 5 月にはポルシェとシェルが本格供給契約を締結し、2030 年代前半に商業プラントを多拠点展開する計画です。
経済性とコスト課題
現状の量産コストは化石燃料に比べて依然高く、FT 石炭液化で原油換算 26〜27 米ドル/バレルと試算された事例も過去にはありますが、これは石炭価格・CO₂ コストを考慮しない理論値です。
PtL の場合、2020 年代半ば時点で e-ケロシンは 3〜4 米ドル/リットル(約 190〜250 米ドル/バレル)と見積もられ、再エネ電力と DAC のコストが支配的です。
ただし、電解槽の大量生産や再エネの更なる低廉化が進めば、2040 年には 1 米ドル/リットル未満まで下がるとの予測も報告されています。
環境面のメリットと課題
PtL 由来燃料は、原料 CO₂ を排出源から直接回収する場合でも、ライフサイクルで 70〜90 % の排出削減が可能と試算されています。
一方、未だ電力需要が大きく、再エネ比率が低い地域で生産すると逆に排出が増えるリスクも否定できません。
また DAC の電力消費や水資源の確保など、地域社会への影響評価も不可欠です。
技術的ハードル
高温高圧設備ゆえの巨額 CAPEX、合成ガス調整の省エネ化、触媒の長寿命化など、スケールアップには多面的な技術革新が求められます。
加えて、既存石油精製所やパイプラインとの互換性を確保するため、最終製品品質の国際標準化も急務です。
将来展望
国際民間航空機関(ICAO)の CORSIA や欧州の ReFuelEU Aviation 規則により、航空燃料に占める持続可能燃料(SAF)の混合義務が段階的に強化される見通しです。
これに伴い、2030 年頃から e-Fuel の需要が急増し、初期は航空・海運など〝脱炭素が難しい〟分野を中心に市場が形成されると予想されます。
HIF など先行企業は 2030 年代半ばに数百万バレル/日の供給体制を目指しており、政策支援とカーボンプライシングが整えば、価格競争力の早期獲得も期待できます。
まとめ
結論として、石油を人工的に合成する技術自体は既に確立されており、工業規模のパイロットも稼働しています。
しかし、経済性と大規模な再エネ電源の確保が依然として最大の壁であり、現時点ではニッチ市場向けの高付加価値燃料に限られるのが実情です。
将来的に再エネコストが下がり、CO₂ 排出に対する社会的コストが引き上げられれば、人工石油は脱炭素時代の主力液体燃料として大きく台頭すると考えられます。
人工石油は「可能か否か」という問いに対しては「技術的には可能であり、経済的には課題が残るが、政策と技術革新次第で現実的選択肢となり得る」と申し上げるのが適切でしょう。